「咲くやこの花館25周年の歩み」8月29日土曜日放送です。

咲くやこの花館が25周年とうかがって久山さんにお話を聞きににおじゃましました。もともとは、低湿地の農地で、蓮やクワイ、稲などを作っていた場所だったのだそうです。大阪市制100周年の記念事業の一つとして、この地でアジアで初の世界花博を開催するという一大プロジェクトが展開されました。1990年、のべ400万人の来場者を集めた「国際花と緑の博覧会」。当時パビリオンの中で人気ナンバーワン、まさに博覧会のシンボルとなったのが、「咲くやこの花館だったのです」。博覧会が終わってから緑に囲まれたこの地に住みたい街の一つとなる「鶴見緑地」へと生まれ変わりました。
花博が始まる前、世界各国からたくさんの見たこともない植物が集まってきました。搬入・調査・準備・研究など各専門家が集結して毎日寝る間を惜しんで働きました。久山さんも山野草の専門家として必死だったそうです。今は、たくさんの植物園で見られるようになった「奇想天外( Welwitschia mirabilis)」も当時はどう育てればよいかわからなかったそうです。砂漠の植物なので、水をやらずに乾かし乾かし育てているとなんとなく元気がなくなってきました。実は、水脈のあるところで長ーく根を伸ばして自生していることがわかり、水を適度に与えるようにしてから栽培が上手くゆき、今ではずいぶん大きくなりました。
オープン2年前には、マダガスカルからバオバブの木が到着しました。バオバブにも品種がたくさんあるのだそうですが、やってきたのは「フニーバオバブ」です。しかし、運ばれてきたバオバブの幹の下の方が腐っていたのです!スタッフは、予想外のことにパニックになりそうでしたが、腐ったところを切り捨て高さ3メートルの木の挿し木を成功させて大ピンチを乗り切りました。2006年には日本初の開花で話題になり、今は蕾の着いた年に夜間開化鑑賞会を開催して大好評です。花博のために建てられた咲くやこの花館、今は市民の憩いの、勉強の、観察の場となってたくさんの人が足を運んでいます。25年前の苦労が報われているという事なのでしょうね。25周年、本当におめでとうございます。

放送は、サンテレビで8月29日土曜日朝6:00から、再放送は水曜日の朝8:00からです。